昭和40年06月30日 朝の御理解



 大阪の、平野というところに、片島(せん)という大変お徳の高い先生がおられる。女の先生なんです。この方はもう、亡くなられる、いわゆる、晩年のころまで、大変な、身体に、様々な病気が起こっております。もうそれが、大変な苦しみらしいですねえ。それでもう、あるとき、神様の御神前に出られてから、もうこんなに身体が苦しゅうては、お取次ぎをさせて頂くのにも、もう苦しゅうてたまらんと。
 ですから、どうぞ神様、命をお引き取り下さいと言うて願われた。いちいち、神様からお伝えを受けられる、大変お徳の高い先生ですから、そのお届けをなさいますと神様がです。片島(せん)その方が苦しむと氏子が助かると仰ったそうです、神様が。それで、私がこれだけ苦しんで、氏子が助かるのならば、ほんなら、もっと苦しんだっちゃ良いという、元気が出たという事をその、話しておられますですね。
 昨日は、敬親会でございましたから、みんなお年寄りの方達が集まられたのですけれども、中には、石井さんがおかげ頂いて、ご承知のように美也子さんが、直腸癌で病院に入院しておられる。そらもう、大変な、やはり、苦しみらしいですね。それで私が、神様から頂くことには、誰彼の上に、やっぱお祭り替えが、家族中の上にあっとるですねえ、いろんな意味で。そしたら、その、昨日の朝、美也子さんがその、いわゆる、ベッドの上でお夢頂いておる、苦しいなかに。
 それがその、椛目の親先生が、私と同じ病気をしておられるげな。それを私が、介抱しているところを御神夢に頂いておる。まあ、片島先生のそれがらと頂き比べて、もう、私共には分からない世界というですね。信心させて頂いておりゃもう、私共の知らない、分からない世界に、もう、様々な微に入り細に渡っての神様の、氏子可愛いとか、氏子助けねば止まんと言うような働きがあるということですねえ。
 昨日、私、昼から、昼ごろから、何かこう、心がいらいらして、まあ、言うなら妙なこつばっかりその、言うたり思うたりせんならん様な半日でしたけれど、昨夜、御祈念頂いて、御理解を頂き終わって、最後に終わらせて頂きます時に、その事をお詫びさせて頂きよりましたら、みんな、御理解で、いわゆる教材だと神様が仰いますねえ。教えるための材料だと仰る。
 まあ、そうして見りゃあ、久方ぶりに気分が良くなったんですもんね。こういうような時があるんだ、人間というものは、生身を持っておるから。こういう時には、しかしこういうような生き方があろうがと。いわば、その、生きた教材を下さるんですねえ。夕べ、夜中から、また、こう手足が不自由なんですね。もう、それがこう、抜けるように、きついんです。それで、家内を、そしたら、家内も起きてるんです。
 大概痛んでその、眠られないという。それで、もうどうしても眠られないから、しばらく擦って差し上げましょうち言うてから、身体中、今朝方まで擦ってくれたんですけれども、今朝ここに、降りてきたらどっこい、自分で立ったりしゃがんだりが出来んくらいにきついし、もう、なんとも言えんその、それこそ名状しがたい苦しみですね。その、兎に角、難儀を感じますんですけれども。
 ま、昨日からの事を、いろいろ考えさえて頂いてから、神様のご都合に違いはない。しかもそれがです。例えば、私どもの、こうした一つの、難儀というか、修行というものが、難儀な氏子の助かることの、それになるならばまた、こんなに有り難いことはないとも思うのですね。お互い信心させて頂いておりますと、本当に、目に見えるおかげより、目に見えないおかげの方が多いと仰るが。
 私共が、気付かん中に神様は、それぞれに、修行させて下さったり、また、助けねばおかんという働きが、様々な形になって現れてくるんですねえ。まあ、兎に角、一切神様にお礼を申し上げることばっかりだと、いう気が致しますですね。今日も、大体は、善導寺の大祓い式ですから、おかげ頂かんならんのですけれど、こう、悪かったっちゃ、もう、兎に角、身体もですけれども、気分がですね。
 先ず、おかげ頂かねば出来んと思ってますけれども、もう、兎に角、ひっくるめて、神様のご都合だと。これは、私だけの上の事ではなかろうと思うですね。例えば、気分の上にでも、身体の上にでも、深い神様の御神意のあってのことですから、そこんところを分からせてもらいますと、苦しい中にでも、お礼の申し上げれるような事にもなりましょう。また、お礼申し上げねばならない事だと、こう思うですね。
   おかげを頂かれますように。